観音井戸

観音井戸(鏡井戸とも云う)

 

當寺は、文武天皇の御宇、大寶年間(701~704)に開創されたものと云われ、 はじめは七堂伽藍を完備し塔頭の坊四十を越えるという極めて廣荘にして法雲天宮に輝く霊場であったが、前後七回に亘る火の災いに遭い、 堂塔伽藍悉く烏有に帰した。その都度御本尊は、この井戸に難を避けられた故を以て観音井戸と言い伝えるようになった。

又、宇多の帝(867~931、在位887~897)につながる伊勢源氏佐々木家は寺領を寄進して代々その祈願所とせられたが、 朝綱公世継ぎなきを憂い賜いその令室この長谷観音に日参して祈念願望成就一子を授かりたまう、 後に七朝の帝師と仰がれた夢窓国師(1275~1351)その人である。母君日参の度毎に、 この井水を水鏡として心を正し、身を浄められた故をもって鏡井戸とも云う。