長谷寺

近田山 長谷寺。三重県津市にある臨済宗相国寺派寺院。歴史や藤堂高虎公ゆかりの石仏等の紹介。伊勢西国第十五番札所

長谷寺 〒514-0077 三重県津市片田長谷町230
縁起

長谷寺縁起

 当山の開基は徳道上人で、その創設については大宝年間(七〇一~七〇四)と伝わる。大和の長谷寺を模したものとして多気郡多気町にある真言宗山階 派の近長谷寺に対し遠長谷寺とも呼ばれております。佐々木氏や北畠氏の祈願所であったといわれているが、たびたびの兵火に遭い、ほとんど廃絶していたのを 二代津藩主の藤堂高次公が再興し、藤堂家歴代の祈願所となった。現在は臨済宗相国寺派に属しております。

 津市街の西方にある長谷山(321m)の南西中腹に位置し、麓の長谷町から続く参道を上りつめたところに毘沙門天と六観音の石仏があります。これは藤堂高虎公が文禄年間に大陸よりもたらしたものと伝わっております。



○『当寺十一面観世音菩薩縁起、奥院縁起』より

 当山は文武天皇の時代(大宝年間)徳道上人が身の丈二丈六尺(約7.9m)の十一面観世音菩薩三体を彫刻させ、その内の一体を当寺の御本尊として安置し、以来国家鎮護の勅願所となりました。

 その後、佐々木朝綱、藤原景通、藤原景清、伊勢の国司北畠氏の歴代の祈願所となり七堂伽藍を備え繁栄しておりましたが、兵火によりほとんど廃絶していたのを二代津藩主の藤堂高次公が再興し、藤堂家歴代の祈願所としました。

 古仏十一面観世音菩薩は日本有数の大きな御仏でありましたが、天正年間織田信長の兵火により焼き払われ、その残骸を白布に包んで奉安し、霊験著しいとされ人々に信仰されてきました。その白布を十八年毎に取り替える為に御開扉法要が厳修されます。


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 本堂の東側には井戸があり、この井戸は七回もの火災に遭った御本尊が、その都度この井戸に難を避けられた故を以て観音井戸と言い伝えられています。な お、現在の御本尊十一面観音立像は江戸初期の作で等身大木造褐色の漆仕立て寄木造の長谷式となっています。


寺史

大寶年間(701-704)
徳道上人開基
天平19年(747)
堂成就 供養導師波羅門僧正(9月28日)
天平勝宝5(753)
孝謙天皇行幸(11月16日)
天慶元年(938)
建立
天慶7年(944)
炎上(9月)
天慶9年(946)
建立
康保2年(965)
村上天皇行幸
正暦2年(991)
山木火出 仏無恙出(3月3日)
永承7年(1052)
炎上(8月25日)
天喜3年(1055)
建立(8月11日)
嘉保元年(1094)
炎上(11月13日)
天承元年(1131)
建立
承久元年(1219)
焼亡(2月15日)
承久3年(1221)
建立
明応4年(1495)
炎上(10月22日)
天文5年(1536)
焼亡 同年京都東福寺天外和尚を招き堂宇再建
天正年間(1573-)
兵火により廃絶(1568-の信長伊勢侵攻時とも伝わる)
寛文13年(1673)
京都興聖寺拙堂和尚観音堂建立
享保15年(1730)
梵鐘成る
享保17年(1732)
覚応の時堂舎造営
寛政9年(1797)
泰山の時堂舎再建
大正元年(1912)
雲外の時堂舎修繕
昭和7年(1932)
宗俊の時堂宇修理庫裡再建
昭和23年(1948)
宗俊の時本堂屋根葺替
昭和61年(1986)
本堂屋根葺替
昭和62年(1987)
書院改築
平成15年(2003)
観音堂、水屋改築